前回の逃げについての話を書いていて、少し前のレースを思い出しました。
それは2017年ツールド北海道の第2ステージ。
これはワンデイのJBCF群馬とは違い、ステージレースの途中の1ステージというまた少し違った環境のレースでした。
ステージレースとワンデイレースの違いはググってもらうとして。。。
この日のレースは距離が185kmでレース序盤と終盤に山が一つずつで、あとはアップダウン。
群馬とは違い同じ道は通らないラインレースです。あまりブレーキは必要なく広い道が続くような明らかに集団に有利なコースでした。
コースはこんな感じ。
地図右上のスタート視点から南西に進んで海岸線を北上、その後に西に進んでいく185kmでした。(写真はTour de北海道公式ウェブサイトより)
全体のレース展開や写真は当時の記事をご覧ください。
さてここからはなぜこんな展開になったのか、走っていた選手目線で書きます。
この日はどのチームも基本的にはスプリント勝負。ただし距離の長いレースで集団牽引させられるのは厳しいということで、チームの誰かが逃げに入ることでレースを有利に進めることができますが、どのチームも基本的には考えは同じなので、各チーム積極的にアタック合戦が続きます。
僕も逃げに入りたかったので、積極的に前に位置しながらカンを働かせてうまいこと立ち回りながら走っていました。実はこの日、僕は逃げにもかなりチャンスがあると思っていました。それは後々説明していこうと思います。
- 逃げが決まるが・・・
40km以上走ってようやく最初の山岳賞の設定されている長い上りの手前で逃げが決まりました。
メンバーは、僕と学生1人、ともう2人の計4人。
まだ残り140km近くある中で、4人はぶっちゃけかなり厳しい。
メイン集団としては、山岳賞争いには興味はなくゴールまでに捕まえればOKということだと思います。
しかもこの日は北西の風がかなり強く、コースの海岸線はかなりの向かい風。
4人対集団だと我々逃げ集団にはかなり不利な展開です。
- 山岳賞争い
最初の山岳賞、一緒に逃げている学生が僕に声をかけます。「僕山岳賞とりたいです」と。僕としては山岳賞に全く興味はなかったので「どうぞ」と返答。争いなく彼に山岳賞を取ってもらうことで、逃げ集団内での無駄な体力消耗を避けることができるし山岳賞を取るモチベーションでしっかり協力してくれるので、損して得取れじゃないですが、メリットしか感じなかったので。
しかし、ここで自チームの監督から「小森、山岳賞をとってこい」と指示がでます。理由としては、チームメイトの岡本を日大からレンタルしていて、その日本大学の選手が現在山岳賞ジャージを着ていること、日大には恩があるので彼の山岳賞ジャージを守るため逃げている他大学の学生に山岳賞を取られたくない、だからそれを阻止するために小森が取れ、ということです。
一緒に逃げている選手は山岳賞争いで上位につけつつも、今日も逃げていてすごいと思っていましたし、僕としては別に彼に取ってもらっても良かったのですが、チームの指示は絶対です。
その子に「ごめん、俺もチームから山岳賞とれって言われているから、譲るわけにはいかないです。欲しけりゃガチンコで勝負しよう」と伝えます。
結局一つ目の山岳賞は僕が取りました。
↑シクロワイアードより
その後、海沿いの強い向かい風の中を頑張って北上していきます。アップダウンもかなりキツいです。
逃げが決まってからはメイン集団とのタイム差をずっと確認しながら走っていましたが、一定ペースで走っていると徐々に広がっていたタイム差は3分ほどで頭打ちになりました。つまり、メイン集団としてはこれ以上のタイム差は容認できないと判断したということです。
こうなると、いくら頑張ってペースを上げようと、3分以上は広がりません。メイン集団の選手たちがそれを許しません。しかし逆にメイン集団はなるべく省エネで逃げ集団をキャッチしたいし、あまりに早く逃げ集団をキャッチしたらその後またアタック合戦になる恐れもあるので、3分より著しくタイム差を詰めるようなこともしません。
ということは、逃げ集団がペースを上げても下げても対してタイム差は変わらないので、僕らは頑張るだけ損ということ。
ペースを上げたときのダメージは人数の少ない逃げ集団の方が大きいので、逃げを作るための積極的なペース配分から「そこそこのタイム差を維持しつつ省エネで走る」走法にチェンジします。
- 集団の計算を狂わせる
さぁ、ここでコースプロフィールをおさらい。
レース後半には、進行方向を変えて内陸に入ります。すると風向きが変わって追い風に。二つ目の山岳ポイントを越えるとゴール手前は下り基調でもあります。
追い風と下り坂の二つに共通することは、同じ力で走っていても速度が上がるということ。速度が上がるということは、同じ距離を走り抜けるのに必要な時間が短くなるということ。
メイン集団は、常に逃げとのタイム差を気にしながらペース配分をしていますが、その基準となるのは残り距離です。しかし、その残り距離から想像される所要時間が、この追い風と下り基調では少し短くなり、計算が狂ってきます。なので、この日はチャンスがあると思っていました。それが積極的に逃げようとしていた理由です。しかも4人しかいない逃げ集団に対して圧倒的に有利なメイン集団は油断しがちです。
不利な状況で逃げている立場の僕としてはここに賭けるしかありません。
強烈な向かい風の海岸線から右に曲がり、追い風基調の内陸部に入っていきます。ここで一緒に逃げている選手に「ここからペースアップしよう」と声を掛けます。少しペースを上げながら最後の山岳に入りました。
メイン集団には「これくらいのペースならこれくらいのタイム差の変化の仕方だよな」と思っていたところに、僕らがペースを変化させることで計算間違いを起こさせようとします。
しかしながら当然ですが後ろのメイン集団もゴールに向けてペースアップして、どんどんタイム差を詰めていきます。
ここに2つ目の山岳賞がありましたが、ここではもう山岳賞を争っている余裕はなく、僕は山頂に向けてとにかくペースアップします。この山を越えればあとは下り。少し休んでゴールまで行こうと。
ここで僕はミスを犯しました。1人になってしまったのです。
- 結局最後は力勝負
残りの3人は予想以上に消耗していたようでここから一人旅になってしまいました。この山の下りは一直線で、もっとテクニカルなら集団と先頭でそんなに差は出ませんが、ここまでペダルを回せるような下りだと流石にメイン集団の方が有利です。
しかも、下りは思ったよりも早く終わりゴールまで5kmくらいのところに緩い丘があってそこで一気に失速してしまいました。1人になった瞬間は1人でも行ってやる!という気持ちでしたが、後から思えば、他の選手をもう1人くらい引き連れていく動きの方が良かったのかもしれません。
残念ながら180kmのレースでゴールまで残り3kmというところで集団に吸収され、勝つことはできませんでした。
しかしチームメイトの岡本が勝ってくれ、僕も区間山岳賞を獲得し、チームとしては成功した1日でした。この日はミスを犯したりもしましたが、一緒に逃げていた選手が全員しっかり力を出していたからここまでしぶとく走れたと思います。まぁぶっちゃけ最後の方は集団にも泳がされていたと思いますが。。。
以上、ふと思い出した群馬とは違って、厳しい状況では何を考えているのかというお話でした。
そして、なぜこれを思い出して書いているかというと、今回ふとこのレースを思い出して当時の記事を読んでいたのですが、山岳賞争いをしながら良い走りをしていた学生が現シエルブルーの富雄選手だったということを今知りました!
そう、群馬でレース終盤に独走していた彼です。
その日のゴールの写真にも今も一緒にレースを走る選手が多数。あぁ色々今に繋がっているんだなと懐かしい気持ちになったので、書かずにはいられなかったというわけです。
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